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ラグビーワールドカップの歴史的瞬間

08/10/2019

世界中のラグビーファンが、自分たちの代表チームが栄冠を手にする場面を夢見る。それが4年に1度開催されるラグビーワールドカップです。回数こそ比較的少ないものの、ラグビーワールドカップは幾多の番狂わせや素晴らしいトライ、土壇場での劇的な得点シーン、驚くべきチームプレーなどに満ちた多様な歴史を紡いできました。

しかしラグビーが与える感動とは、それだけに留まりません。現在、日本ではアジア初となる大会が開催され、多くの人々を熱狂させていますが、ラグビーワールドカップでは深い感動を与える歴史的な瞬間も幾度となく見られました。死力を尽くして戦った選手同士が示す、リスペクトの精神、国民全体を奮い立たせるような出来事、そして言葉よりもはるかに雄弁な誇り高き振る舞い。ラグビーワールドカップの歴史を彩ってきた様々なエピソードは、ラグビーがスポーツの域を超えた存在であることを私たちに教えてくれます。

1995年大会:国家を一つに団結させたラグビー

ネルソン・マンデラ大統領は、スポーツが持つ価値と影響力を熟知していた人物でした。南アフリカでラグビーワールドカップ1995が開催された際、マンデラ大統領は混迷と対立を深める社会の傷を癒やし、国民を一つに団結させる機会にしようと試みます。かつての南アフリカでは、ラグビーは白人の男性だけが行うスポーツとみなされていました。しかしニュージーランドとの決勝では、マンデラ大統領が伝統ある緑色のユニフォームとキャップを身に着けて、グラウンド上に姿を現します。スタジアムに詰めかけた観衆からは最初、驚きの声が漏れましたが、場内はすぐに「ネルソン」という感動的な大合唱に包まれました。誰からも敬愛されていたマンデラ大統領は、自らの行動を通して南アフリカという国が一つに団結できること、そしてラグビーが国民を束ねる理想的な手段であることを世界中に知らしめたのです。

 

2003年大会:一瞬のひらめきでもたらされた大逆転

ラグビーワールドカップ2003は非常にエキサイティングな大会だった。ラグビーファンの中には、こう主張する人が少なくありません。開催国であるオーストラリアとイングランドの決勝は、最初から最後まで手に汗握る大接戦となり、両国が今日抱いているような強烈なライバル意識を育んでいきます。ラグビーの試合では、絶体絶命の状況に立たされたときに一瞬の判断が勝敗を分けることがよくあります。イングランドのスタンドオフであるジョニー・ウィルキンソンも残りわずか26秒で歴史的なドロップゴールを決め、栄光を手繰り寄せました。こうしてイングランドは、北半球の国々の中で初めてラグビーワールドカップで優勝を飾ったチームとなったのです。

2003年大会:リスペクトの精神と感謝の祈り

ラグビーワールドカップ2003では、南アフリカ対サモア戦でも印象深いシーンがありました。人々に感動を与えたのは試合中のプレーというよりも、試合後のエピソードでした。友情、スポーツマンシップ、リスペクトの精神がまさに体現されたのです。南アフリカは実力を発揮して60対10で勝利を収めましたが、試合終了後は両チームの選手が握手を交わしました。相手チームの同じポジションの選手と、ユニフォームを交換する光景も見られました。さらに南アフリカのフランカーであるコーネ・クリーグ(Corne Krige)は、両チームの選手に対して円陣を組み、一緒に感謝の祈りを捧げようと呼びかけたのです。両チームはラグビー史上に残るような80分間の激闘を終えたばかりでしたが、相手をリスペクトするラグビーの精神こそが、最も尊ばれるべきものであることを示したのです。

2015年大会:とある少年に示された思いやり

ラグビーワールドカップ2015では、ニュージーランドが大会2連勝を飾りました。試合終了後、スター選手のソニー・ビル・ウィリアムズが場内を一周していると、14歳の少年がお祝いを言おうとピッチ上に飛び出し、会場の警備員にタックルで激しく倒される場面がありました。気の毒に思ったウィリアムズは、その少年を抱きしめただけでなく、なんと自分が受け取ったばかりの優勝メダルを気前よくプレゼントしたのです。このエピソードは、ニュージーランドチームに、いかにすばらしいスピリットが浸透しているかを示すものとなりました。ラグビーワールドカップを2連覇した彼らは、ラグビーというスポーツが持つ価値観を体現するという意味でもアンバサダーになったのです。 

 

2015 年大会:ダビデとゴリアテの物語

ラグビーワールドカップ2015のプールステージに臨んだ日本は、イングランドの南海岸、ブライトンのコミュニティにある小さなスタジアムで強豪の南アフリカと対戦しました。それまで日本は、ラグビーワールドカップで1勝しか挙げたことがありませんでした。また南アフリカの勝利を予想する声が圧倒的に大半を占めていたため、多くの人々はなんら注目に値しない試合だと見なしていました(収容人数の少ない、小さなスタジアムで試合が行われたのもこのためです)。ところが試合では、ラグビーワールドカップ史上、最も衝撃的な番狂わせが起きました。かつてダビデがゴリアテを倒したように日本が勝利を収めたのです。日本は観衆の大声援を力に変えながら南アフリカに対抗。しかし終盤にはリードを許し、あと一歩のところでまたもや涙をのむかに思われました。ところが日本は土壇場でペナルティを得ると、ペナルティゴールで引き分けを狙うのではなく、あえてトライを狙いにいきます。「勝利の女神は勇者に微笑む」という言葉がある通りこの決断は報われました。カーン・ヘスケスはまさに最後のワンプレーでゴール隅に飛び込み、34対32と逆転。誰もが予想しなかった勝利をものにしたのです。この勇気と決断は、日本ラグビーの運命を決定的に変えることにもなりました。

これらの感動的なエピソードは、ラグビー界がいかなる「価値」を尊んでいるかを象徴しています。選手はグラウンド上で死力を尽くし、激しい肉弾戦を繰り広げます。しかし試合終了のホイッスルが吹かれた瞬間、グラウンド上はリスペクトとノーサードの精神に満たされるのです。

アジアで初めて開催されたラグビーワールドカップ2019は、日本の文化を反映しながら爽やかな感動を世界中の人々に与えています。実際の試合では、さらに目を見張るプレーが連続しています。どのチームにも優勝の可能性がありますし、あらゆる試合で番狂わせが起きる可能性があります。大会はいよいよ佳境を迎えます。ここからはさらに感動的なシーンや劇的な試合が増え、ラグビーワールドカップの新たな歴史が刻まれていくはずです。